極み見聞録

【岩佐 Vol.1】草履とともに90年余り。着物文化を足元から支える伝承者

大阪は古くから多くの履物メーカーが立ち並ぶ国内有数の草履産地でした。岩佐の初代が草履の鼻緒づくりで創業したのが、1928年(昭和3年)年。それから90年余り、着物に欠かせない草履を含め、和装バッグ、フォーマルバッグなど、人生の節目に欠かせない特別なアイテムを作り続けています。

  • レポート
  • ほんまもん
共有

鼻緒づくりから草履づくり、そして和装バッグの生産へ

草履は足をのせる台、足を通す鼻緒、これらを組み合わせる“すげる”技術、この3つが合わさり生まれます。岩佐が創業した当時、近隣の草履づくりに携わる先はそれぞれ台、鼻緒、すげ、と専門領域を持ち、一画全体が一丸となり草履づくりに従事していたといいます。

この時代は、日本女性の装いはまだ和装中心だったものの、ヘアスタイルや着物の柄に洋装文化の兆しが見え始めたころ。今のように何もかもが自由ではなかった中、当時の女性たちにとって、鼻緒は好みやこだわりを反映できる希少なアイテムだったのです。

戦後、本格的な洋装文化が花開くと、岩佐は鼻緒業から前進し、草履づくりへと事業を拡大。さらに1977年、二代目が就任したのを機に、草履にあわせる和装用バッグをセットにしたオリジナル商品を企画し売り出します。

留袖や振袖といった格式ある着物に合わせるフォーマル用の草履・バッグにくわえ、カジュアルな装いに合わせる草履・バッグも手掛けるように。それまで市場になかった特徴ある商品を数多く生み出すことで、業界に岩佐の名が知られるようになったのもこの頃です。

現在の岩佐の顔、ブラックフォーマルバッグのはじまり

しかし、装いの中心が洋装へ代わり着物の需要が大きく衰退していく中、草履業界全体が勢いを失い、岩佐も大きな岐路に立たされました

「着物の需要が落ち込む中、会社を存続させるには」

「私たちの草履づくりの技術を、後世に伝えるには」

悩んだ末、転換期となったのは1980年代。岩佐が新たな活路としたのがブラックフォーマルバッグの生産でした。

当時、世の中のフォーマルの装いがほぼ洋装化する中、これに似合うバッグはまだありませんでした。そこで、岩佐はフォーマルウェアを制作していた企業とタッグを組み、洋装のフォーマルウェアに合うバッグの開発に乗り出したのです。

このとき威力を発揮したのが、長きにわたり岩佐の草履作りを支えてきた“貼り合わせ技術”でした。

草履は芯材となるコルクが硬く縫うことができないため、折る・張る、を繰り返す“張り合わせ技術”を基本とし作製します。素材の特性から生まれたこの技術は、草履づくりに欠かせない製法であり、ブラックフォーマルバッグの作製にもこの技術がおおいに役立ちました。

時は流れ、フォーマルバッグのメーカーとして業界はもちろん、消費者の間でも広く知られるようになった岩佐ですが、一方で草履や和装バッグ作りの看板は今なお健在です。長い歴史の中、時代の変化やニーズに寄り添いながら、岩佐が生む商品は大きく広がりましたが、これらを生み出す技術は創業時から変化することなく代々継承し続けています。



次回の記事【岩佐VOL.02】では、岩佐の“ものづくり”を支え続ける張り合わせ技術について、現場の様子、そして技を受け継ぐ若手育成への取り組みとともに詳しくご紹介します。時代の変化を柔軟に受け止め前進してきた岩佐の真髄が「着物文化を支える草履づくりの技術継承」にあることがきっとお分かりいただけるはずです。

店舗詳細

5F

IWASA

営業時間
10:00~21:00
TEL
06-6626-9183